コロナウィルスの感染拡大を受けた休業要請によって街の灯火、店の明かりが危機に瀕しています。私たちの住む街だけでなく、遠く離れた街でも。この状況で私たちにできることはないか、と自問しました。
何故なら街と店の灯火と共に私たちは在ったからです。話を重ねるなかで、土産物を作ることが一助となるのではと思い至りました。ではなぜ土産物なのか。
かつての土産物にはその土地の歴史や風土が詰まっていました。頂いたものを食べたり、民芸品を見ることで、その土地を感じることが出来ました。遠く離れていても土産物を通して、その場所を想像でき「我が街」のように思えるよう、街の灯火が続いていくよう、私たちは活動していきます。
我が街プロジェクトの第1弾では西荻窪を取り上げ、仏蘭西ソースというフレンチソースを作りました。西荻窪の来歴を振り返るなかで、浮き上がった二人の人物の仕事を仏蘭西ソースに結晶させました。その二人とは井荻村の村長であった内田秀五郎、西荻窪にあるこけし屋開店に協力したタレントで柔道家の石黒敬七です。
内田は大正から昭和にかけて村長を務め、土地の改修工事や、当時の先端産業であった航空機産業を誘致しました。彼の築いた基礎は街の土台となっています。
石黒は戦前をパリで過ごし、現地の日本人コミュニティの顔として多くの文化人や画家と交流しました。帰国後は日本で初めて蚤の市を開くなどフランスの文化を日本で広めました。彼はこけし屋が本格的フランス料理を提供するのに協力し、こけし屋を拠点とした文化人の集まり・カルヴァドスの会の初代会長を務め、彼なくしては西荻窪の文化を語ることはできません。
内田秀五郎は文化の街・西荻の基を築き、石黒はフランスの文化を根付かせました。その二人の功績を讃えて仏蘭西ソースは生まれました。